東京都の休業要請

今日(4月10日)、東京都は娯楽施設や文化施設に対して休業を要請し、それに応じた事業者に50万円の「協力金」を支払うと発表した。このブログで論じてきたように、いま必要なのは経済活動をできるだけ縮小することだが、休業の社会的便益はその個人的便益よりも大きいので(別の言い方をすれば休業の個人的費用はその社会的費用よりも大きいので)政府が休業してくれる事業者に補助金を払うというのは、まともな政策である。本来は国全体の経済対策もこうあるべきであっただろう。

50万円という金額が適当かどうかは誰もわからない。理論的には、個人的費用と社会的費用の差額を補助するというのが最適になるのだが、実際の金額はわからない。ただし、50万円にどれくらいの事業者が反応するかは見ることができるので、この金額が十分かどうかはすぐにわかることになるだろう。

給付は5月中旬ということで、国の政策よりはスピード感があるが、もう少し早くできないかという疑問も残る。本当に休業したかどうかを確かめてから、とかいうことを考えているのだったら、それは考え直した方が良いだろう。実際に休業したかどうかということは後で確かめて、もし休業もしないのに協力金をもらうようなところが発覚すれば、その時に罰金付きで返却させるという方が良いのではないか?

休業補償と減収補填給付

昨日のブログを早速読んでいただき、いくつか個人的にコメントを頂いた。最後の部分が混乱していたようなので、もう一度トライしたい。

新型コロナウイルス感染者が日に日に増えている状態で、いわゆるオーバーシュートを防ぐためには、経済活動を大幅に縮小する必要がある。経済対策もこのことを念頭において設計されなければならない。いままでも、外出の自粛、在宅勤務、休業などによって、多くの人・企業が経済活動を縮小してきた。しかし、経済活動の縮小が当該個人そしてその近親者の感染を防ぐという便益は、社会全体が感染拡大の防止から受ける便益に比べて低い。これは経済学で言う外部性の問題である。

他の外部経済の例と比較してみるとわかりやすいかも知れない。例としてよく使われるのは新技術の研究開発である。新技術を開発して、それを実用化した商品を作れば、当然お金になるが、社会的にはもっと大きい利益がある。その技術からヒントを得て、他の会社が違う商品を作ってそれが社会に喜ばれるかもしれない。あるいは、その技術が他の分野での技術革新につながるかも知れない。ところが、そうした個人の利益を超えた社会的便益を開発者は計算に入れないので、研究開発投資はどうしても社会的に最適な水準よりも低くなってしまう。ここに、たとえば政府が補助金を出して研究開発投資を支援するという政策の正当性がある。

同様に、現在では、個々人のそして会社の自粛や営業時間の短縮の度合が、社会的に感染の急拡大を防ぐために最適な水準に比べて低すぎる、という問題がある。自粛を必要だと思う以上に行う個人に、そして社会のために休業する企業に、その行動に対して補償するというかたちで、政府は個人の行動を社会的に望ましい方向に誘導することができる。発表された経済対策はこの点で不足している。自分の行動にそれほど密接に関連しない給付では、人々のいまの行動に影響を及ぼすことはできないからである。

新型コロナ緊急経済対策

昨日(2020年4月7日)、東京をはじめとする7つの都府県について緊急事態宣言が発令されるのと同時に、緊急経済対策も発表された。経済の現状を「戦後最大ともいうべき危機に直面している」ととらえ、「感染症拡大の収束に目途がつくまでの」「緊急支援フェーズ」と収束後の「V字回復フェーズ」の両段階について、大規模な経済対策を作って、速やかに実行するとある。ここでは、その内容についていくつか考えてみたい。

緊急経済対策は5つの柱を持つという。すなわち①感染拡大防止策と医療提供体制の整備及び治療薬の開発、②雇用維持と事業継続のための支援、③収束後のV字回復のための需要喚起、④将来を見据えた強靭な経済構造の構築、⑤今後への備えである。

全体的には、経済状況の判断は適当だと思われるし、危機的状況を打破するために、巨額な対策を立てたのも評価できる。ぼくも含めて多くの経済学者は、財政赤字が続いて政府債務が際限なく上昇していく傾向に警鐘をならしてきたが、このような危機の時は財政の健全性を心配する時ではない。むしろ、危機時に心配なく財政を拡張できるように平時の財政健全化が重要になるのだが、いまそれを議論してもしょうがない。

全体的には評価できる内容であるが、詳しく見ていくと、欠けている点、実施に応じて注意すべき点などがいくつかある。

一つは、感染症拡大を防止するためには、経済活動を社会全体として縮小させるしかなく、経済対策も短期的には経済活動を現状以上に縮小するために使われるべきだ、という視点が欠けていることである。

感染が人と人との接触によって起こり、接触を避けるためには多くの経済活動を取りやめなければならない。在宅勤務、休校、外出の自粛、イベント・集会・外食のとりやめ、などはすべて感染症の拡大防止に大きく貢献することである。

しかし、経済活動を縮小することのコストは、収入の減少など個人あるいは個々の組織によってほとんど負担されるのに対して、便益(感染症の拡大防止)は社会全体によって享受される。経済学で言う外部性が発生し、個人的費用と社会的費用が違ってくることになる。そうすると、個人的に我慢しても良いと思う経済活動縮小の程度は、社会的に望ましい程度に比べて、小さくなってしまう。

このような外部性がある時には、政府の介入が正当化されるのは、経済学でよく知られている通りである。緊急事態宣言を発して、経済活動を制限するのは、ここに意味がある。しかもその程度は多くの人がやり過ぎだと思うくらいでなければ意味がない。そして、社会のために仕事を休んだり店を閉める人が少しでも多くなるように、政府が補助金を出すというのもまともな政策である。

そのような政策は、もし多くの人達が外出・営業の自粛を行い、その結果収入が減少して、政府の支援を受けるということになれば、緊急経済対策と基本的に同じになる。しかし、今のように収入が減った世帯や事業主に限って配布するというのとは違ってくる。収入がある程度以上減った世帯や事業主に配布するのでは、もらえるかどうかの境目に近い人たち以外の行動には影響を与えない。もちろん自粛の要請に応える人達が大多数だとは思うが、そうした社会的行動に報いるような経済的便益はない。配布の額を変えるとすれば、新たに休業することによって被る個人的費用とそれがもたらす社会的便益の差がもっとも大きくなるところに優先して、しかも行動に影響を及ぼすように速やかに配布する、という方が望ましいと考えられる。