「9月入学」案はなぜ死んだのか?

NHKの6月11日の記事は、4月の終わりから提唱されるようになり、一時は安倍首相も含めて積極的に考えられた「9月入学」案が、わずか一ヶ月で「見送り」されるようになった経緯を、自民党と文科省の動きを中心に簡潔にまとめている。結局重要だったのは、新しい制度を作るために30以上もの法改正が必要なこと、移行期におおくの困難が生じること、新型コロナ感染症対応による休校措置などによって問題になっている教育の格差などの問題は「9月入学」にするだけでは解消されないことなどであった。

こうした問題の指摘は、NHKの記事でも決定的な影響力を持ったとされる自民党議員有志の提言でも中心になっている。自民党政務調査会の秋季入学制度検討ワーキングチームの最終報告書も、同様の観点から「学校休業に伴う学びの保障」と「秋季入学制度」を分けて考えて、前者については今年度の期間や入学試験の時期や範囲などを検討し、後者については今年度あるいは来年度ということではなく、長い時間をかけて慎重に「各省庁一体となって、広く国民各界各層の声を丁寧に聴きつつ、検討すべき」としている。

一見妥当な結論のように見えるが、一連の議論でいくつかの点が見落とされてしまったと思う。一つは、「9月入学」を実現するために様々な法改正が必要となったり、企業の採用のやり方、資格試験の日程などの慣習を与件とすると特に移行期に多くの困難が生じるというのは、実は「9月入学」論の優れた点であるということである。もう使い古された表現をつかえば、バグではなくフィーチャーだということになる。日本の教育そして社会・経済をより良いものにするためには、様々な規則や慣習の変更が必要になる。「9月入学」一つだけとるとそれ自体の便益は他の制度が変わらなければ小さいだろう。しかし、これがもっと大きな変革を強いる起爆剤になるなら、その便益は大きくなるだろう。今回の議論は、「9月入学」の導入を突き詰めて考えれば、そのような大きな変革が必要になるということを明らかにしたが、同時に少なくともいまの政権はそこまで大きな議論をしたくはないということも明らかにした。

もう一つは、コロナ対応に伴う休校措置などで起こってきた喫緊の問題と「9月入学」を同時に考えることの意味である。両者は分けて考えることができる問題であるという自民党の結論は間違っていない。ただし、それはどちらか片方しか考えられないということではない。このような二者択一の議論は、日本教育学会の「9月入学」に関する提言にも見られる特徴である。40ページにわたる日本教育学会の提言は、細かい分析もなされていて、特に長期休校によって生じた学習の遅れや教育格差の問題を解決するためになされるべき政策がたくさんあるという指摘はその通りだと思う。ただし、そうした問題の解決が迫られている現在は、通常よりも制度改革のコストが少なくなっている状態であり、当初何人かの県知事や自民党議員が指摘したように、ピンチをチャンスに変える良い機会である。その機会が失われてしまったのは残念である。

最後に、これが一番重要だと思うが、長期休校などによって明らかになった諸問題は、コロナ・ショック以前からすでに存在していたということである。2か月間休校したことによる学習の遅れを取り戻すためにはどうすればよいのか?オンライン授業をスムーズに実行できた学校とそうでないところで格差ができてしまったが、それはどのように解消できるのか?同じ学校でも家庭環境によってオンライン授業の有効度は違ってきている。この格差をどうするのか?こういったことが大きな問題になるのは、ショック以前の制度が、生徒全員が同じペースで同じ内容の学習ができていて格差などは存在しなかったという前提で議論がなされているからだろう。

しかし、実際にはある年の4月2日からその次の年の4月1日に生まれた子供を一学年にしてまったく同じ内容を同じペースで教育するというのは無理な話で、当然差が出てくる。その格差をできるだけ少なくするためには、全員にできるだけ同じような教育をするのではなく、それぞれの生徒にできるだけあったような形で教育をするということが必要になる。場合によっては、決まった学年よりも一年上のあるいは下の学年に属したほうが効果ある学習ができる場合も多いだろう。これはもちろん「9月入学」にしても同じ問題は残る。ただし、「9月入学」にしても全員を6ヵ月遅らせる必要なないだろうとかいう議論になれば、そもそも学年を誕生日で厳格に区切り必要もないだろうと考えることができるようになるかもしれない。

これはきちんと調べていないから間違いかも知れないが、コロナ・ショックを受けて学事暦をどうするかという議論がここまで盛り上がったのは日本だけではないだろうか?そうだとすれば、学齢と学年を厳密に結びつけるという日本の制度が、コロナ・ショックに代表される大きなショックに脆弱だったということが明らかになったのではないか?

上述した自民党議員有志の提言に課題の一つとして「今後コロナ等の感染症が流行する度に、学校教育を後倒すのか」というものがある。まさにその通りだと思う。コロナ・ショックによって明らかになった日本の教育制度の脆弱性を是正するためにはどうすればよいのか。その議論が必要である。もちろん他の議論と二者(三者?)択一ではないのだが。

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