Go To キャンペーン(その2)

様々な方面からの批判を受けて、政府はGo To キャンペーンを修正している。いまのところ、東京居住者の旅行、東京を目的地とする旅行については、補助金は適用されないことになったようだ。また、「高齢者や若者の団体旅行は控えてもらうことが望ましい」という方針も打ち出したようだ。問題が明らかになったら速やかに政策を修正するという姿勢は評価できると思う。3日前のブログで考えたように、全国的に中止した方がもっと良いのだが、東京を除外することによって無駄になる税金は少しは減る。

3日前のブログでは、簡単化のために、普通の値段だったら感染症にかかるリスクがあるので旅行はしないが、代金が安くなったら旅行する、というような人はいないと仮定した。感染症に関するリスクをどの程度に考えるかは個人差があるだろうが、それを考慮に入れたうえで旅行をするかどうかという決断は、旅行の値段にはあまり左右されないという現実的な仮定だと思うが、今日はこの仮定が成り立たなかったらどうなるかを考えてみよう。つまり、旅行の値段が安ければ感染症にかかるリスクが高くてもいいというような人が十分いると仮定する。

この場合、3通りの場合が考えられる。第一に、個人が旅行の楽しみと感染症のリスクのトレードオフを考えに入れて決断した結果が、個人的にも社会的にも最適な場合である。経済学的に言えば、個人が最適な決断のために必要な情報を全て持っていて、また外部性がない場合ということになるだろう。この場合は、補助金を使って、消費者の行動を歪めれば、個人的にも社会的にも厚生が下がってしまう。つまり、たとえ補助金が効果を持つ場合でも、介入してはならない。

第二は、個人が意思決定する場合には、外部性の存在などによって、社会的に最適なレベルよりも高いレベルで旅行をしてしまうという場合である。これは、自分にとっての感染症のリスクは考慮にいれるが、自分が感染者で知らないうちに他の人を感染させてしまうというリスクを考慮に入れないなどの外部不経済がある場合である。3か月以上前にこのブログで書いたように、この場合は、個人の最適と社会的な最適が違ってくるので、補助金が効果を持つなら介入する意味はある。ただし、この場合必要なのは、旅行しないような方向に介入することである。つまり、Go To キャンペーンとは逆に、旅行代金を高くすることになる。

第三は、逆の外部経済があるような場合である。個人は感染症のリスクを過大に恐れるために、旅行の量が過度に制限されてしまう、という状態になっているというのが例になるだろうか。

Go To キャンペーンを正当化されるのは、この3番目の状況だけである。本当にこのような状況が今の日本で成り立っているだろうか?もし、そうではなく、現状が第1の状況や第2の状況に近いなら、Go To キャンペーンのような政策は、税金の無駄使いにとどまらずに、むしろ有害になる。

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