2020年8月17日
というタイトルのインタビュー記事が今週の『日経ビジネス』に載っている。副題は、「それでも日本は変わらない」とある。コロナ後の日本の再興を考えるシリーズの一つらしいが、出雲社長は、これまで30年間日本は変わるのか、変わらなければならないのではないか、と言ってきながら、全然変わって来なかったではないか、と言う。まったく同感である。7月18日のこのブログでも指摘したが、今年の骨太方針が目指すところは、2001年の小泉政権による最初の骨太方針とほとんど変わらない。30年ではないが、少なくとも20年大きな変化がなかったわけである。
出雲氏は、日本の弱点として(したがって本来変わるべきところとして)、起業家精神の弱さとデジタル化の遅れをあげる。起業家精神は、ようやく東大など一部で変化が見られるようになった。これは、ぼくが東大にいて実感することでもある。出雲氏も各務茂夫教授の貢献をあげているが、これもその通りだと思う。遅ればせながら、ようやく変わる契機が見られるようになっている。
デジタル化の遅れについては、結局は技術進歩の進展によっておこる失業を避けるために、デジタル化を急速に進めないような選択を日本が行った、と解釈する。これは、デジタル化を進めなかった経営者に親切すぎる解釈ではないかと思う。デジタル化で生産性が上がると職が失われるという議論には、全体の生産量が同じだという暗黙の過程がある。生産性が上昇することによって、いままでと同じレベルの生産を行うのに投入しなければならない労働量が減るとしても、生産量全体を増やすことができれば、あるいは今までは生産量が低かった分野に労働を再配分することができれば、失業率を上げずに、生産性の上昇を享受することができる。
問題は、労働が要らなくなるところと、必要な所が別の企業、産業、地域であり、労働者の移動が難しくなる場合である。失業を上げることなく、生産性上昇の成果を享受するためには、このような労働の再配分を容易にするような政策が必要である。そのような政策が日本で取られてこなかったことの問題点は、少し前の日経の経済教室でも述べたが、企業を守るという政策のおかげで、日本の企業はデジタル化を進めなくても、生き延びることができ、雇用を維持できたのである。
アメリカでは、一般的には企業を守ることによって雇用を維持するという政策はとられなかったが、雇用調整を容易にするようなセーフティ・ネットもなく、取り残される労働者が増えた、という問題があるが、この点はまた違う機会に考えてみたい。