新型コロナ緊急経済対策

昨日(2020年4月7日)、東京をはじめとする7つの都府県について緊急事態宣言が発令されるのと同時に、緊急経済対策も発表された。経済の現状を「戦後最大ともいうべき危機に直面している」ととらえ、「感染症拡大の収束に目途がつくまでの」「緊急支援フェーズ」と収束後の「V字回復フェーズ」の両段階について、大規模な経済対策を作って、速やかに実行するとある。ここでは、その内容についていくつか考えてみたい。

緊急経済対策は5つの柱を持つという。すなわち①感染拡大防止策と医療提供体制の整備及び治療薬の開発、②雇用維持と事業継続のための支援、③収束後のV字回復のための需要喚起、④将来を見据えた強靭な経済構造の構築、⑤今後への備えである。

全体的には、経済状況の判断は適当だと思われるし、危機的状況を打破するために、巨額な対策を立てたのも評価できる。ぼくも含めて多くの経済学者は、財政赤字が続いて政府債務が際限なく上昇していく傾向に警鐘をならしてきたが、このような危機の時は財政の健全性を心配する時ではない。むしろ、危機時に心配なく財政を拡張できるように平時の財政健全化が重要になるのだが、いまそれを議論してもしょうがない。

全体的には評価できる内容であるが、詳しく見ていくと、欠けている点、実施に応じて注意すべき点などがいくつかある。

一つは、感染症拡大を防止するためには、経済活動を社会全体として縮小させるしかなく、経済対策も短期的には経済活動を現状以上に縮小するために使われるべきだ、という視点が欠けていることである。

感染が人と人との接触によって起こり、接触を避けるためには多くの経済活動を取りやめなければならない。在宅勤務、休校、外出の自粛、イベント・集会・外食のとりやめ、などはすべて感染症の拡大防止に大きく貢献することである。

しかし、経済活動を縮小することのコストは、収入の減少など個人あるいは個々の組織によってほとんど負担されるのに対して、便益(感染症の拡大防止)は社会全体によって享受される。経済学で言う外部性が発生し、個人的費用と社会的費用が違ってくることになる。そうすると、個人的に我慢しても良いと思う経済活動縮小の程度は、社会的に望ましい程度に比べて、小さくなってしまう。

このような外部性がある時には、政府の介入が正当化されるのは、経済学でよく知られている通りである。緊急事態宣言を発して、経済活動を制限するのは、ここに意味がある。しかもその程度は多くの人がやり過ぎだと思うくらいでなければ意味がない。そして、社会のために仕事を休んだり店を閉める人が少しでも多くなるように、政府が補助金を出すというのもまともな政策である。

そのような政策は、もし多くの人達が外出・営業の自粛を行い、その結果収入が減少して、政府の支援を受けるということになれば、緊急経済対策と基本的に同じになる。しかし、今のように収入が減った世帯や事業主に限って配布するというのとは違ってくる。収入がある程度以上減った世帯や事業主に配布するのでは、もらえるかどうかの境目に近い人たち以外の行動には影響を与えない。もちろん自粛の要請に応える人達が大多数だとは思うが、そうした社会的行動に報いるような経済的便益はない。配布の額を変えるとすれば、新たに休業することによって被る個人的費用とそれがもたらす社会的便益の差がもっとも大きくなるところに優先して、しかも行動に影響を及ぼすように速やかに配布する、という方が望ましいと考えられる。

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